天理教渕和分教会~運命切り替えのたすけ道場~
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行事案内

【おつとめ】

天理教のおつとめは欠かさずつとめましょう!(体験話)

朝づとめ 毎朝午前7時より  夕づとめ 毎夕午後6時より

月次祭「毎月11日」午前11時より

元旦祭「1月元旦」午前10時より

春季大祭「1月11日」午前11時より

秋季大祭「10月11日」午前11時より

平和祈願祭・戦没者慰霊祭「毎年8月6日」午前11時より

にをいがけ

天理教のおさづけでたすけていただいたら その喜びを一人でも多くの方に伝えよう!

渕和分教会のにをいがけのご案内

教会からは毎日9時30分集合10時出発です。

毎月2日は「にをいがけ強調日」午前9時30分集合おつとめ10時出発〜

真誠ウガンダ布教所ウガンダの実働報告

おたすけ

天理教のおさづけを拝戴して助ける喜びを味わおう! 体験話・入信の動機

別席のご案内

別席を運ばしていただいて、おさづけを拝戴しましょう!別席について詳しくはここをクリックして、

申込は氏名、住所〒、電話&FAX、性別を記入してこちら

おさづけを拝戴された方は参加できます。

「第8回アフリカおたすけ隊」募集開始!受付中!
ウガンダに出かけてお助けします。
日 程:立教171年(平成20年、西暦2008年)5月26日出発〜6月6日帰国
行く先:ウガンダ
交 通:エミレツ航空
参加費:350、000円
主 催:おたすけ隊ネット
後 援:天理教埼玉教区布教部
申込金50、000円を添えて申し込んで下さい。
お問合せはこちらへ

ひのきしん

天理教のお話を聞かしていただいたら感謝と報恩の道を歩みましょう!(体験話)

教会主催のひのきしん
毎月 8日午前9時〜12時 衣類整理箱詰めひのきしん 教会8時30分出発 AAAスタジオ
毎月10日午前9時〜月次祭前日ひのきしん 教会にて
毎月19日午前9時〜12時 衣類整理箱詰めひのきしん 教会8時30分出発 AAAスタジオ

〜本当に助かる暮らし方体験録・入信の動機〜

(S)私は毎朝夕のおつとめを続けています。何と不思議なことが今現れています。先日定期検査に行きました62歳にもなるのに、内臓は一切なんでもなかった・・・(続きを読む

(S)私たち第10回ケニア井戸掘り隊員の乗った機内で「誠に恐れ入りますが急病の方がおられます。お客様の中にお医者様がいらっしゃいましたらお申し出ください」・・・(続きを読む
(H)第2回目の修養科の卒業間近で、転んで腰の骨を折ってしまいました。理作りの大切さを悟って、修了後、教会へ住み込まして・・・(続きを読む

(T)昭和58年9月15日 日曜日の晩酌に水割り一杯おかわりして、就寝して、夜中に目が醒めてトイレに行こうとしたら立てなくなり「あっ、やられたっ!」瞬間思って、朝まで我慢して、6時になってから這ってトイレに行った。医者に行くには時間があるし、朝のおつとめをと家内が「おつとめできる」と言った。座りづとめをやらせていただいてから、町の掛かり付けの医者に行ったのです。・・・・(続きを読む

(S)泉東の親会長様のお言葉によれば
「私が今日まで生きている間で、泉東部内で知っているたんのうの人という方は、二人います。その一人が渕和の初代さんです。今一人は日置荘の初代さんです。」と、泉東の三代会長村上領一先生から「たんのうの人」と言われた。(続きを読む

(S)私は毎朝夕のおつとめを続けています。何と不思議なことが今現れています。先日定期検査に行きました62歳にもなるのに、内臓は一切なんでもなかったのです。一番嬉しいことは、自分の癖性分に気がついて、直るところまでは行かないのですが、気がついたことで、自分の癖性分で人に迷惑をかけない努力ができるようになったのです。心の反省を気持ちよくできるようになったのです。

(S)私たち第10回ケニア井戸掘り隊員の乗った機内で「誠に恐れ入りますが急病の方がおられます。お客様の中にお医者様がいらっしゃいましたらお申し出ください」。
 しばらくして、日本人の女性看護師が名乗り出た。クルーは酸素ボンベを運んだり、あらゆる手を尽くしているようであったが、ついに機内放送となったのだ。看護師さんは、苦しがる老婦人を前にして、とにかく寝て身体を休めるしかないとクルーに話している。
 私の座席のすぐ後ろでの出来事である。荒い息で苦しそうな声が聞こえていた。寝るに寝られないのだ、そんな状況の中、私の心は、行ったり来たり、言葉もわからない、状況も正しく判断できない、ただ病人が苦しんでいることだけははっきりわかる。
 瞬間! 真剣に祈る妻の姿が脳裏に浮かんだ!
 それは、わが家の子供たち6人がお世話になった幼稚園の理事長の告別式での出来事だった。
 野辺の送りを待つ園庭には、1、000人を超えていただろうか、ひつぎが出てくるのを待っていた。私たち夫婦のすぐそばで一人の老人が倒れた。私はすぐに公衆電話から救急車を手配。いすが運ばれてきた。老人は、青っぱなを出し身体が硬直して座ることもできない。家内がその人におさづけを取り次ぎ始めた。おさづけが終わるか終わらないかというところへ救急車が来た。硬直していたその方がフッと息を吹き返し、立ち上がった。親しい方々が「こちらの奥さんが拝んでくれたんだよ」「そうですか、どうもすみません心配かけました」と、何事もなかったように辺りを見回す、私はとにかく病院へ行ったほうがよいと言いながら、周りのみんなもそれがよいと救急車へ送り込んだ。鮮やかな御守護であった。
 あのときの妻の姿が浮かび、行動になった。
 押し出されるように、後ろの客席へ、「アイアム ア ゴッド」と言うなり、おさづけを取り次ぎ始めた。息で苦しんでいるのだからと、のどの辺りに無我夢中で取り次いだ。病人は、手でのどを指しもっとやってくれというようなしぐさであったので引き続き、今度は落ち着いてお取り次ぎさせていただいた。終わる頃には息も鎮まり寝込んでしまった。最初は、あまりにも静かになったので「出直したか?」と思った、が呼吸をしていた。鮮やかな御守護だ。感極まった私は、自分の席に戻り、大声でお礼のおつとめをさせていただいた。
 落ち着いた機内では、クルーが食事を出し始めた。老婦人が目覚め、夫を通して私に一生懸命お礼を言ってくれているようだ。私はメ「アイアム ア ゴッド」と言ってしまったが、私がたすけたのではない、教祖が働いてくださったのだモと、言いたいけれども言葉がわからない。かばんの中にしまってあった天理教の英語版パンフレットをお渡しした。「ありがとう(と言ったと思う)」何度も繰り返していた。彼女は日本人パーサーを呼んで何か話していた。その日本人パーサーが、私のところへ来て、「大変感謝をしておいでです」と伝えてくれた。老婦人も夫と共に、おいしそうに食事をしていた。そのご夫婦はイスラエル人とのことであった

(H)第2回目の修養科の卒業間近で、転んで腰の骨を折ってしまいました。理作りの大切さを悟って、修了後、ひのきしんで教会へ住み込ましていただきました。腰を折っているのですから何のお役にも立たない毎日、奥様や教会の方々のお世話になるばかりでした。しかし思いの外快癒が進み、神殿掃除まで出来るようになりました。68歳で骨折と言えば、それが元で体はう〜〜んと老けてしまう、と、内心心配してはいたのですが、アフリカのおたすけ隊にまで参加できたのです。
 身上のご守護を戴いて、布教所長という立場もありますから7月31日をもって帰宅し、布教活動に邁進させていただくことになったのです。約8ヶ月の教会伏せ込みでしたが、なんと8月11日の月次祭には、布教所の後継者が決まり、他にも沢山のご守護を戴きました。子供や信者さんが理の言葉を伝えるとしっかり聞いて実行してくれるようになったのです。理の親への伏せ込み、遠くウガンダのおたすけ(おさづけの取り次ぎ)、と、わからん中、遅々とした歩みではありましたがつとめとさづけの実践を続けたことのご守護と感激しています。教祖120年祭期間中の出来事でした。腰の骨を折って何にも出来ないと心配していましたが、理の御用を思い切ってつとめ、神様にもたれ切ったのが良かったと悟らしていただいています。

〜二代会長様からお助けいただいたお話〜

 おさづけ拝戴へのお手引き

和千葉布教所長 山形 孝 

 昭和58年9月15日 日曜日の晩酌に水割り一杯おかわりして、就寝して、夜中に目が醒めてトイレに行こうとしたら立てなくなり「あっ、やられたっ!」瞬間思って、朝まで我慢して、6時になってから這ってトイレに行った。医者に行くには時間があるし、朝のおつとめをと家内が「おつとめできる」と言った。座りづとめをやらせていただいてから、町の掛かり付けの医者に行ったのです。
診察するや否や「成田の日赤病院へ行きなさい」と紹介状を書いて下さいました。即入院、病院へ来てからだんだんと容態が悪くなっていきました。
 3日目に会長(渕和の二代会長故井口光枝先生)さんが来て下さって、おさづけを取り次いでいただきました。
 9月にはリハビリに入り、10月15日には、容態も良くなり、退院して、家に帰ってからも毎日病院でやっていたリハビリを続けるように言われ実行していました。
 10月26日の秋の大祭には、皆様と一緒におぢばがえり団参に参加バスで帰らせていただきました。皆様と共に親神様・教祖にお礼参拝して、教祖のお墓地へ、私は足を引きづりながら階段を上がり参拝させていただいたのですが、帰りには、石段を歩く足下が軽いのにビックリ、周りの方々が
「あらっ!山形さんの足が何でも無い」
と振り反って立ち止まっておりました。
「ああ!おぢばへ帰ってきて良かったなあ」と感激し、教祖百年祭までには、おさづけを拝戴させていただこうと心を定めました。(この時4〜5席だったと思います)。

 おさづけ拝戴 昭和60年5月5日

 その後脳血栓の後遺症も無く現在も元気に通らせていただいております。         合掌

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