徳とは人の前にあるのではない人の見てない陰にある。
人の見てない陰こそ誠をしておけ、
すると人の出来ない働きをする。
人の見てないところこそ自分がよく知っている。
自分の知っていることこそ神が知っている。
お蔭様という言葉をよく聞く、その通りである。
陰が正しく通ってあれば、
人間は何一つ困ると言うことが起きてこない。
陰で物を大事にしている人には、物が集まってくる。
陰でお金を大事にしている人には、お金が集まってくる。
陰で人を助けた人は、大事なとき思わぬ人の援助を受ける。
陰で天理を全うしている人の言うことはこわい、
ものごとが言うとおりになってくる。
だから言うとおりに守らないと、理が出てくる。
人間は陰と共に歩き、陰はどこまでもその人について働く。
人間はどういう道を通ってきたか、
日々人の見てないところでどういう通り方をしているか、
それがその人の財産だ。
だからお道は、陰で天理を全うすることを、教えるのだ。
徳と呼ぶものはその人の陰の力のことである。
「関根豊松先生のお言葉」 城書
天然自然の道
黎明の首都高をひた走る。ヘッドライトが私たちの行き先を照らす、用賀を経て突然広くなった東名へ、その先に、富士山が遠くにうっすらと見えてきた。頂きの白い雪が印象的だ……富士山が近づくにつれて朝日も昇る……ピンク富士から黄金色の富士に変わっていく……
その美しさは筆舌に現わすことのできない素晴らしい光景だ。
春、夏、秋、冬……毎月二回東名を往復する。めったに遭遇する事のない光景、そして同じ光景は二度と無い、今日の感動は一入心が澄んでくる。
この美しい自然をつかさどる天の摂理は、私たち人間や生きとし活けるものが、陽気暮らしの出来るように、生かし育ててくれる。
私たちの教祖(お道の者は“おやさま”とお呼びしてお慕い申し上げています)は、自然の摂理の中で生かされ活きていく人間の心の使い方を身をもって教えてくれた。
教祖は中山みき様と申し上げます。教祖が通られた50年の歳月は私たち人間の暮らし方の手本、ひながたです。天理教は、教祖の手本、ひながたの道を教えてくれる誠の道です。私たちの言うお道とは教祖ひながたの道なのです。
城之