天理教渕和分教会~運命切り替えのたすけ道場~
最新情報 募集 喜びの生活 行事案内 アルバム アクセス 教会概要 心のダイエット リンク トップへ

初代会長様の思い出と私の入信
三代会長 山崎城之

初代の信仰

 泉東の親会長様のお言葉によれば
「私が今日まで生きている間で、泉東部内で知っているたんのうの人という方は、二人います。その一人が渕和の初代さんです。今一人は日置荘の初代さんです。」と、
 前置きしてお話下されたのは、北野田の駅から歩いて泉東に来る頃のことです。その頃には、門を入ると井戸があって、やれやれと言いながら、「こんな遠い大変な中を会長さんは東京までお話に来て下さる本当に有り難い勿体ない」と、つぶやきながら井戸水を美味しそうに飲んでいたそうです。
 自分が苦しい思いをしたときに、人の苦労に感謝できる精神こそたんのうの極意ではないでしょうか。このように物事の受け取り方の素晴らしい方でした。
 私たちは初代と共に生活させていただいておりましたが、夕食時にお下がりのお神酒をコップに一杯ちびりちびりと飲みながら半分ぐらいになると話が始まりました。
 「おれは胃弱で食べ物屋をしているのに食べることも出来なかった。着る物はしょっちゅう質屋に入って、店の家賃だってなかなか思うようには払えなかった。今は本当に有り難い、こうして女だてらに毎晩晩酌が出来るようになった。有り難いことだ。それからおれは先案じが強くて何時でも先のことの心配ばかりしていたが、今は度胸が良くなった。教祖のお供をしているのでなんの心配もいらなくなった。本当に有り難い。神様は本当に有り難いんだぞ。」
 そして、話はきまっておぢばがえりの事や上級参拝のことでした。が、特に次のお話が記憶に残っています。
 増井おりん先生が教祖から柿をいただいて食べたお話です。
「教祖が口でもぐもぐした柿を掌に載せて『さあ、お食べ』と手を差し出したそうです。皆さんはていよく断ったのですが、おりん先生の前に教祖が手を出されると、おりん先生は『はい』と言って頂いたそうです。その時におりん先生は息のさづけを戴いた」と言うお話です。
 秋の大祭の団参では、必ず大和柿をお土産に買ってきてくれました。私は柿を見る度食べる度に初代を思いださせて頂いております。
又、「あのな〜ソビエトのフルシチョフは『叩かれたら叩き返す』、キリスト教では、『左の頬を叩かけれたら右の頬を出せ』と、教祖は叩かれたら『あなたの手は痛く無かったですか』と教えたそうだよ、たいしたもんだろ〜。」と言うお話です。
 たんのう、そのもの、受ける心の真実、成ってきた理の悟り方、神様にもたれ切っていればこそ理を素直に受け取る事が出来たのだと思います。
 初代の信仰の始まりは布教師岡部(?)と言う方に「胃弱で困っているようだけど、天理教を信仰したら必ず助かるよ。近くの教会へ行ってお話を聞いてごらん」と教えられ、近くの島淵分教会を尋ね、かしものかりもの、つくし、はこび、ひのきしん、の話を聞かしていただき、日参するようになったそうです。そして、盃一杯のお米のお供えが始まったのです。
 関東大震災、大東亜戦争、東京空襲。頼りの婿殿(私の父)が戦病死、嫁入り前の娘愛子(叔母)は銃後の守りに就いていたが肺結核で出直し(死)、と次から次へと大きな節にぶち当たり、その節を生き節として、その都度成人を重ねてまいったようです。
 おばあちゃんの信仰はおばあちゃんの語りで、私たちに伝えられました。自らの成人と共に、そのお話が身にしみるのです。
 幼い頃にひどい霜焼けで、布団に入ると足が暖まって、痒くなり、布団の中で口惜しくて泣いていました。こんな時におばあちゃんが足もとの布団をめくっておさづけを取り次いでくれました。目が覚める何時の時でも朝でした。おさづけの終わったことは記憶にありませんから、おさづけをいただきながら寝てしまったのだと思います。
 左の耳が痛くて、このときはおばあちゃんに柳島へ連れられて、柳島の三代会長様がおさづけを取り次いでくださいまして、ぴたっと痛みが治まったのを覚えています。このように、おさづけを通して、神様を身体で感じては居りました。
 私は、こうした、祖母の信仰からこの道を自然に身に付けていただきました。

私の入信
重大人身事故

 自分自身がお道の信仰を自覚させて頂きましたのは、私が27歳であります。
 昭和44年12月10日浦和(さいたま市桜区)市内の六間道路を走行中に一人の少年をはねてしまいました。定速走行中に10メートル程先に少年が飛び込んできました。とっさにブレーキをかけましたが、間に合わず、その少年は車のボンネットの真ん中の角に当たって、宙を飛び、5メートル先の方へ落ち、転がって、塀に当たってうずくまり動かなくなりました。はっと我に返り、車を飛び降りて、少年の安否を確かめました。子供は「ごめんなさい。」と、私を見つめました。大丈夫でないことが分かりながらも私は「大丈夫か!」と声をかけました。「大丈夫です。」力ない声が返ってきました。
 私は、大声で「おかあさんはいませんか!」と叫びながら、赤電話に飛びつき、救急車を、そして警察に、会社に電話をしました。
 現場にはお母さんがきていました。「いつも言っているでしょ!なぜとびだしたの!」と狂ったように子供を叱りつけていました。「お母さん近くの病院へ行きましょう」と、長島外科病院へ、お母さんも車に乗せてかけ込みました。

 院長は私に少年の死を宣告しました。
 「レントゲンの結果、腰骨骨折、恥骨ひび割れ、これだけの骨折からして99%は内臓は破裂していると言う以外にないだろう。手の打ちようがない。但し、奇跡が起これば、助かるかもしれない。何れにしても今晩が峠」とのことです。

 私は教会に走り会長様(渕和第二代会長井口光枝先生)に
「子供を助けてください」
とお願いしました。
「私が助けることは出来ないけれど、神様にお願いさせていただきましょう。城之さん修養科を心定めしなさい」
「何でもしますから、助けて下さい!」
と言うことで、会長様はお願いつとめを勤めてくださいました。

 当時の私は、神様にお願いしておきながら本当に助かるのだろうか?と医者の言葉の方を信じて疑わず、その晩は一睡もできませんでした。

 翌朝病院の開くのを待って駆けつけました。夜中に血のおしっこが混じって出たけれど内臓破裂はしていなかったようで死を免れた。と言うのです。骨折とヒビの治療で、半年くらいで退院できるとの見通しでした。本当に良かったと安心しました。と同時に心の芯は
「偶然、助かったのだ」
と、まさか神様が働いたとは思えなかった私でした。

 そして、いよいよ運転者としての賠償問題に入るわけですが、実は任意保険が3日前の7日で切れていたのです。大変なことになりました。私は再度教会を訪ね、神前に額ずいて、神様のおはたらきを疑った事をお詫びしました。そして、今度こそ神様の話を信じきることを心から約束して、更に任意保険の日取りを変えてくれように頼みました。しかし、保険証の日取りを変えてくれと言う無理な願いは聞いてくれるはずもありませんでした。

 警察の調べがあって、前方不注意による人身事故ということで、飛び出した少年の方に7割、3割が運転者の責任という、行政処分が言い渡されました。

 一方私は毎日病院へお見舞いに行きましたが、日に日に病院内を駆け走るほどに良くなっていくのが分かりました。不思議に回復は早く2カ月で退院できたのです。

 神様は保険証の日取りの数字は変えてくれませんでした。が、子供の回復、裁判の判定などの結果を通して、強制保険の範囲内で双方示談まですっきり円満という素晴らしいご守護を戴いたのです。

 年を越して、約束の3〜5月の修養科時期が来ましたが、会社の方で始めた新規事業が漸く実を結び成果が上がり始め、忙しくなってきましたので、会長様に
「会社が忙しくなるのも神様のご守護でしょうから修養科はちょっと待ってください」
と、お願いしました。
「私はいいけど、神様が許してくれるかどうかは保証できませんよ」
「そんな脅かすようなこと言わないでください」
と、会長様の声に耳も貸さずに、商売に励んだのでした。

 毎日の忙しさにまみれて、人身事故があったことさえ忘れてしまった私でした。そのころの私は「事業活動をして、利益を出し、その利益を世の中に還元すれば、それが人助けにつながる立派な男の信仰生活である」と自負しておりましたので、尚さらのことでした。

 人身事故から半年後の6月10日、ねずみ捕りにかかってしまい25km/hオーバーのスピード違反、前回の人身事故と併せて3カ月の行政処分。
 そんな事があってから、修養科の心定めを思い出したのです。営業活動を主にした仕事で、お得意先が遠いところばかりでしたから、車の免許がないということは、仕事は出来ないことだったのです。しかも9〜10月の高安としてはちょうど修養科時期に免許停止の命令が下ったのです。

 修養科で、天理教の教えに感動しました。神様の不思議なおはたらき、色々なことを目の当たりにしました。聾唖の人が喋べれるようになったり、心臓が悪くて歩く事もできなかった人(この方は私が車椅子でお世話させていただきましたが、小さくガタンといっただけで苦しがるような状態でした)3ヶ月目には一人で歩いて通学できるようになりました。杖がいらなくなった方もおりました。数々の神様の不思議なご守護を目の当たりにして、真実神様を信じる事ができるようになったのです。

 私は交通人身事故からお手引きを頂き素晴らしい教祖の御教えに直接ふれる事が出来、心から信仰を誓ったのです。

 私自身の信仰の元一日は以上のようなわけであります。その10年後に長男出直しという大節を戴くわけです。

 神様はそれぞれの成人の程度を見て、時に応じ、旬に応じて、寸分狂わぬお仕込みをして下さいます。それがその人の節です。成ってくる理をしっかりと見つめて思案させていただき、節から芽が出るようにしっかりとした信仰信念を基盤に日々を暮らさせていただく事を決意しました。

 日々教祖のひながたをまっ正直に歩ましていただきましょう。教祖ひながたの三信条はつとめ一条、たすけ一条、喜び一条の実行であります。それが親神様の思し召しを覚らせていただく一番の近道であり、人間の幸福への近道であると私は信じます。

つとめ一条
 朝夕のおつとめは心の掃除です。真剣につとめさせていただく事で神様がほこりを払ってくださいます。

   せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 
   神がほふけやしかとみでいよ        3号 52

複数の人間が暮らしているのですから、それぞれ相手に思いやりを持って暮らしていても行き違い、思い違いなどがあり、知らぬ間に埃を積んでしまうものです。欠かさずつとめてほこりを払います。
   ほこりさいすきやかはろた事ならば
   あとハめづらしたすけするぞや       3号 98

 月次祭は御恩報じです。このおつとめは命切換えの大事なおつとめです。親の思し召しを覚らせて頂く大事なおつとめです。しっかりとご守護いただいたお礼を申し上げ、御教え通り命懸けでつとめさせていただきお宝を十分に戴きましょう。
   とのよふなむつかしくなるやまいでも
   つとめ一ぢよてみなたすかるで       10号  20

   つとめさいちがハんよふになあたなら
   天のあたゑもちがう事なし        10号 34

たすけ一条
 おたすけに出させていただくと、悪いんねんにまみれた自分を自覚させていただけます。そして今の自分が7分は神様が足してくださって一粒萬倍のご守護を下さっていることに気がつき、感謝の心が湧き出ます。
   わかるよふむねのうちよりしやんせよ
   人たすけたらわがみたすかる      3号 47

喜こび一条
 どんなまじゃくに合わないことと思われることでも、成ってくることは全て神様の深い親心によるものです。末代にわたって陽気ぐらしさせたい親心から節を与えてくださるのです。
   にち/\によふほくにてわていりする
   どこがあしきとさらにをもうな     3号 131
 さて、本来人間の最も深い元のいんねんは、〈よふきぐらし〉であります。人間に〈よふきぐらし〉をさせたい深い親心から、それぞれの立場に合わせて身上、事上にしるしをつけて、お引き寄せくださって、その元をお教え下されているのであります。
   しやんして心さためてついてこい
   すえハたのもしみちがあるぞや      5号 24

 夫婦は捧げ合う誠の愛

   せんしよのいんねんよせてしうごふする
   これハまつだいしかとをさまる     1号 74

長男の出直しを機に、妻に求め続けていた自分を反省し、妻に捧げる心に立て替えさせていただきました。更にこのお言葉は、どんな人とのつながり関わりについてもそのいんねんに寄って末代おさめて下さることをお教えいただいていると悟らしていただきます。お道の真髄でありますたんのうの精神を持って捧げ合う誠の心で暮らす事が肝要だと信じます。

三代会長の事は、世界へ飛び出せおたすけマンホームページを是非ご覧下さい。