(S)私は毎朝夕のおつとめを続けています。何と不思議なことが今現れています。先日定期検査に行きました62歳にもなるのに、内臓は一切なんでもなかったのです。一番嬉しいことは、自分の癖性分に気がついて、直るところまでは行かないのですが、気がついたことで、自分の癖性分で人に迷惑をかけない努力ができるようになったのです。心の反省を気持ちよくできるようになったのです。
(S)私たち第10回ケニア井戸掘り隊員の乗った機内で「誠に恐れ入りますが急病の方がおられます。お客様の中にお医者様がいらっしゃいましたらお申し出ください」。
しばらくして、日本人の女性看護師が名乗り出た。クルーは酸素ボンベを運んだり、あらゆる手を尽くしているようであったが、ついに機内放送となったのだ。看護師さんは、苦しがる老婦人を前にして、とにかく寝て身体を休めるしかないとクルーに話している。
私の座席のすぐ後ろでの出来事である。荒い息で苦しそうな声が聞こえていた。寝るに寝られないのだ、そんな状況の中、私の心は、行ったり来たり、言葉もわからない、状況も正しく判断できない、ただ病人が苦しんでいることだけははっきりわかる。
瞬間! 真剣に祈る妻の姿が脳裏に浮かんだ!
それは、わが家の子供たち6人がお世話になった幼稚園の理事長の告別式での出来事だった。
野辺の送りを待つ園庭には、1、000人を超えていただろうか、ひつぎが出てくるのを待っていた。私たち夫婦のすぐそばで一人の老人が倒れた。私はすぐに公衆電話から救急車を手配。いすが運ばれてきた。老人は、青っぱなを出し身体が硬直して座ることもできない。家内がその人におさづけを取り次ぎ始めた。おさづけが終わるか終わらないかというところへ救急車が来た。硬直していたその方がフッと息を吹き返し、立ち上がった。親しい方々が「こちらの奥さんが拝んでくれたんだよ」「そうですか、どうもすみません心配かけました」と、何事もなかったように辺りを見回す、私はとにかく病院へ行ったほうがよいと言いながら、周りのみんなもそれがよいと救急車へ送り込んだ。鮮やかな御守護であった。
あのときの妻の姿が浮かび、行動になった。
押し出されるように、後ろの客席へ、「アイアム ア ゴッド」と言うなり、おさづけを取り次ぎ始めた。息で苦しんでいるのだからと、のどの辺りに無我夢中で取り次いだ。病人は、手でのどを指しもっとやってくれというようなしぐさであったので引き続き、今度は落ち着いてお取り次ぎさせていただいた。終わる頃には息も鎮まり寝込んでしまった。最初は、あまりにも静かになったので「出直したか?」と思った、が呼吸をしていた。鮮やかな御守護だ。感極まった私は、自分の席に戻り、大声でお礼のおつとめをさせていただいた。
落ち着いた機内では、クルーが食事を出し始めた。老婦人が目覚め、夫を通して私に一生懸命お礼を言ってくれているようだ。私は メ「アイアム ア ゴッド」と言ってしまったが、私がたすけたのではない、教祖が働いてくださったのだ モと、言いたいけれども言葉がわからない。かばんの中にしまってあった天理教の英語版パンフレットをお渡しした。「ありがとう(と言ったと思う)」何度も繰り返していた。彼女は日本人パーサーを呼んで何か話していた。その日本人パーサーが、私のところへ来て、「大変感謝をしておいでです」と伝えてくれた。老婦人も夫と共に、おいしそうに食事をしていた。そのご夫婦はイスラエル人とのことであった
(H)第2回目の修養科の卒業間近で、転んで腰の骨を折ってしまいました。理作りの大切さを悟って、修了後、教会へ住み込ましていただきました。腰を折っているのですから何のお役にも立たない毎日、奥様や教会の方々のお世話になるばかりでした。しかし思いの外快癒が進み、神殿掃除まで出来るようになりました。68歳で骨折と言えば、それが元で体はう〜〜んと老けてしまう、と、内心心配してはいたのですが、アフリカのおたすけ隊にまで参加できたのです。
身上のご守護を戴いて、布教所長という立場もありますから7月31日をもって帰宅し、布教活動に邁進させていただくことになったのです。約8ヶ月の教会伏せ込みでしたが、なんと8月11日の月次祭には、布教所の後継者が決まり、他にも沢山のご守護を戴きました。子供や信者さんが理の言葉を伝えるとしっかり聞いて実行してくれるようになったのです。理の親への伏せ込み、遠くウガンダのおたすけ(おさづけの取り次ぎ)、と、わからん中、遅々とした歩みではありましたがつとめとさづけの実践を続けたことのご守護と感激しています。教祖120年祭期間中の出来事でした。腰の骨を折って何にも出来ないと心配していましたが、理の御用を思い切ってつとめ、神様にもたれ切ったのが良かったと悟らしていただいています。
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