つくし
天理教は金だと言われる方があります。そんなことはありませんが、
出す人は多分たくさん出します。出す人は何で出すのでしょうか?
それは良いからです。どんな物でもそうですが、良い物は高いのです。
しかし、良い物ですから、出しても決して後悔はなく、良い買い物をした!
良かったと喜べる事だらけなのです。
さて、なぜお金を出すのでしょうか?
欲の深い人にはなかなか理解できないかも分かりませんが、
本来、私は出す必要はないと思っております。
おたすけ篇で書いたように、物や金じゃないのです。
人様にたすかってもらうおたすけをすれば良いのです。
特に、大変な中たすけて貰った方は、お金で簡単に済まさず、
その日から、人をたすける道に入るべきだと私は思っております。
しかし、社会で働いている方が、色々な病気や事情をたすけてもらって
翌日から会社を辞めて、人をたすけるだけの生活をするということも
相当な決断力と勇気がないと出来ないものです。
そこで、日々コツコツと命を懸けて働いて得るお金の中から、おたすけの代わりに、
命であるお金を御供えさせて頂くのです。そして、そのお金は、
おたすけのみで生きていく方々の時には足代になったり、
命をつなぐ食費になったり、
おたすけ道場を建設したり・・・。
間接的におたすけをすることにつながっていく訳です。
あくまでもつくしが主ではなく、おたすけが主であることを忘れてはなりません。
|