天理教渕和分教会~運命切り替えのたすけ道場~
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四代会長

天理教里親連盟に掲載

高安・渕和分教会(会長)山崎栄慈

『教祖にもたれていれば…』

 「会長さん。いつもいつも本当に無理言ってすいません。実は今日は中学三年生の男子なんですが、父子家庭で父親と喧嘩して家を出されているんです。学校の担任の先生と一緒に謝りに行っても許してくれず、もしかすると急遽ですが、一時保護してもらいたいのですが、如何でしょうか?」

「はいはい。御喜労様です。○○さん(相談所の職員)も大変ですね!うちはいつでも良いですよ!中学生かぁ。来てくれると助かるなぁ。是非お願いします。それでいつですか?」

会長になって半年。未だに信者さんも「えーちゃん」と言いそうなところを、噛みながら「会長さん」と不自然に呼んでくれている中、こうも自然に会長さんと言って下さると、こちらもついハイハイと答えてしまう。

「いやー。それが今日の夕方になると思うんです。ただ、これからもう一度父親のところに謝りに行って許してもらえたら大丈夫なんですが…。許してもらえなかったら取りあえず今晩からしばらく預かってもらうことになると思うのですが…。」

「分かりました。良いですよ!でもお父さんに許してもらえたら良いですね!神様にお祈りしておきますよ。」 

しばらくすると、

「いやー。お陰様で無事解決しました。今回は保護してもらわなくても大丈夫になりました。いつもお騒がせしてすいません。又今度、無理を言うかもしれませんが宜しくお願いします。」

「良かったですね!いつでもどうぞ。」

児童相談所の職員の方とはいつもこんな会話である。受ける子供達は当然おたすけだが、間に入ってがんばっている職員の方々も、私達よふぼくからすれば、おたすけさせていただかねばならない、教祖を知らない人達である。前会長である父は里親を通し、その事を常々心掛け、教会に来る人は全ておたすけの対象であるとの思いでこの活動に取り組んでいる。私もそんな身近な、しかし大きな壁に追いつき追い越せで『命懸真剣』に取り組んでいる。

 

 立教一六三年五月七日、浦和支部おつとめまなび総会が開催された。

 奇しくも埼玉教区では里親活動を啓蒙しようと打ち出したばかりであった。この総会もその声を受けて、里親啓蒙研修会にしようと記念講演には若狭一広先生を講師に里親の話しを聞かせて下さった。埼玉教区管内で、いの一番に実施したのではないかと思われる。私は珍しく、興味深く、楽しく、一睡もすることなく聞かせて頂いた。私が珍しく聞いたのでなく、若狭先生が上手にお話し下さったのだ。本当におもしろい話だった。終了後、田口支部長はじめ、支部の先生方、父である当時の会長さんは若狭先生のご接待をしていた。この接待が良かったようだ。話しの流れで、

「せっかくこうして里親の啓蒙の為、若狭先生に浦和にお越し頂いて、素晴らしい講演を聴いて、今こうして親しくお話しをさせてもらっているのに、このまま、良い話しだったと言って終わってしまっては申し訳ないのではないか?今ここにいる先生方は早速、明日にでも里親の登録に行くことを決意しようじゃないですか。」

と、一人の髭面の先生が言った。この髭面が我が会長さんだった。

そこで、「そうだ!」と名乗りを上げたのが、支部長の田口先生と本和分教会の長谷川先生だった。ここでその場にいた全員が!となれば天理教内でも浦和支部は大した支部となるだろうが、そう言うわけにもいかなかった。

 結果的には田口先生は認可が得られなかったが、長谷川先生と我が会長さんは目出度く里親に登録されたのであった。二組とも、五十、六十に近い子育てをするにはちょっとばかりご高齢にも関わらず、教祖の「人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない。」とのお言葉に心奮い立たせての登録であった。今、天理教内で、聞かせてもらった話しを

「良い話しだったなぁー。素晴らしいなぁ。あの先生は凄いなぁ。」

と言って、終わってしまっていることが非常に多いのではないだろうか?「聞いた話しは他人の理、行うて我がの理」と聞かせて頂く。また、前真柱様は

「教理が全部分かっていても人を救ける行いがなかったら、お道を半分しか通っていないのと同じこと」

と、聞かせて頂いたことがある。そう言う意味で、その場で決断し、早速行動に移したこの二組を私は表彰ものだと思っている。この勢いはお道を通らせていただく上で見習うべき大切な心の置き方だと思う。

「そんなこと言ってもうちには事情があるし」

「やっと自分の子供の手がかからないようになったのに」

「教会の御用を精一杯させてもらっているから」

「ぼちぼちやりましょうよ」

「うちは忙しいから」

言い訳ならいくらでも見つかる。それがいけないとも思わない。確かにそうである。それが現実である。実際のことを考えたら上記の声は決して言い訳ではない。

 さて、ところでこの二組は、暇だから里親登録したのだろうか?自分たちには他より多少余裕があるからしたのだろうか?否、決してそうでない。むしろ忙しい人達だ。それぞれ色々な立場も頂戴し、一方は大教会直轄教会として部内教会もあり、教区においては主事を務め、なくてはならない役目をつとめている。もう一方は教会の上には様々なおたすけ活動を展開され、国内はもとより海外までも飛び回っている。だからこそ、私はこの二組は表彰ものだと思うのだ。

 私は当時、我が教会の会長さんが登録されたことは我が事として精一杯つとめさせてもらおうと思った。ただ、それは登録してから全くもって大きな心得違いであると言うことを痛感した。登録していない者がいくら手を出しても会長夫婦は会長夫婦、私達は私達なんだと言うことを実際に里子を預かってみてその責任感において明らかに違うことを痛感した。

 この時の講演を境に私は勝手に心の中で若狭先生を師匠と呼ばせてもらっている。この時の事は強烈に脳裏に焼き付いている

 

 その後すぐ、私自身も結婚させていただくことになった。が、自分達が登録するというのは日常の忙しさにかまけて思いつかなかった。

そんな中、私達夫婦に長男を授かり、次男がお腹にいる頃、会長さんから、

「君達も里親登録をしてみては?」

とのお声がけを頂いた。私には願ってもいない事だった。嬉しかった。

「そうだ、俺も結婚したし、里親登録できるじゃないか。」

と言うのがその時の率直な思いだった。その根底には若狭先生のお話しの中の「人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない」「教祖がお喜び下さる」と言うことがよみがえり

「おやさま、おやさま、おやさま、おやさま、おやさま、おやさま」

と頭の中でグルグルまわって止まらなかった。

 さて、登録には僕一人でできるわけがない。妻に話しを持ち帰ったが、最初はやはり良い返事ではない。しかし、事の重要性を話したら分かってもらえた。さすがお道の中で育った人だ。

 ちなみに若狭先生の奥様は天理教でないところからお嫁に来ている。それなのに結婚して間もなく教会長夫人になり、支部長夫人になり、更にこのような活動をされていると言うことは並大抵な苦労でないだろうと察する。奥様の夫を立て、夫を支え、夫に添い遂げようとの現れだと思う。奥様も素晴らしいし、その奥様を導いている若狭先生も本当に凄いと思う。

 教祖のひながたの前に私は幸せな事に若狭先生と言う師匠がいる。

 又、その話しを聞いて即実行の両親がいる。両親だって相当な談じ合いが持たれていた。

「何言ってるの?結局やるのは私じゃない!」

と、相当な剣幕で父に楯突く母の気持ちも分かる。それを話し合いで、快く納得したか、嫌々やったかは分からない。でもやっているのである。道中どんな事があろうと結果やっている。実行していると言うことは親神様、教祖は受取って下さると思う。

 あの天下の中山家でさえ、神様直々の世界一れつをたすけたいとの思召にはっきり断りを入れ、天にお上がり下さいとまで申し上げているのだ。我々がお道の道中で色々やるやらないと談じ合うのは当然のひながたであると思う。お道の人間の幸せな事は自分の事でどうしようもなくなって、我が身さえ良ければと言う状況でいがみ合い、争いをしているのとは訳が違う。おたすけさせていただく上での練り合い、談じ合いなのである。自分のことで悩むのでなく、おたすけをさせていただく上で悩む。人の為に悩む。素晴らしいことだと思う。常識では考えられない、お道の、教祖の教えの、よふぼくであればこそだと思う。

 さて、そう言う訳で私達夫婦も無事里親登録できた。初めて手続きに行った時にはお腹にいた次男も、登録完了の時には既に産声を上げ、順調にすくすく育ってくれていた。時あたかも真柱様から教祖百二十年祭、年祭活動の大号令である諭達第二号がご発布された直後の立教一六五年暮れのことであった。

 

 立教一六六年五月下旬。私達夫婦に里親登録して初めての委託依頼があった。K.Nちゃん二歳の女の子。二十九日に来て六月六日には帰ってしまう。特に問題がある訳でなく、母親が簡単な手術をする為に一週間入院する間預かって欲しいとのこと。慣れない環境に戸惑い、子供なりに一生懸命教会での生活を送ってくれた。泣き虫ですぐにぐずぐずしているが当然である。しょうがないことだと思う。なんたって二歳なのだから。お父さんが仕事の合間に通ってくれた。とても喜んでくれ、近所なので又遊びに来ると言っていた。こちらとすると非常にありがたいと思っていたが、間もなく引っ越しをするということで、わざわざご挨拶に来てくれた。また、翌年の正月には年賀状を下さり、とても喜んでくれていたことが分かり改めて嬉しかった。

 K.Nちゃんが帰ってしまった翌月七月にはK三兄弟が我が教会にやって来た。同時に両親のところにもN.Mちゃん(八歳二年生)がやって来た。四人の子供達で教会は一気に騒がしくなった。K三兄弟は長女のK.Sちゃん(十歳四年生)、次女のK.Aちゃん(三歳)、三男のK.I君(二歳)であった。K.SとK.Aの間に長男(九歳三年生)と次男(七歳一年生)もいて本来は五人兄弟らしい。この子達の両親はこの三月に離婚。父親はトラックの運転手で、離婚しなければ普通の家庭であったが、仕事が休みの時に子供の世話もしないと母親が父親に対して不足し離婚してしまった。子供から聞いたことだからそれ以上のことは分からないが、夫婦間で色々あったのであろう。それから母親が稼がなくてはならなくなり仕事を始めたが子育てまでできなくなった様だ。長男、次男が夜中に町中をうろうろしているところを警察に保護され、家にいってみたら母親はいなくて子供達5人が放置されている状態であったという。すぐに強制的に保護されたそうだが、この長男、次男は腹を空かしてしょっちゅう万引きをして食いつないでいた常習犯らしい。そこまで追い込んだ親が信じられないが、これが現実である。彼等は施設に入った。私達で彼等も見させてもらうと言ったのだが、相談所もうちの為に配慮してくれたことである。五人も一緒に預かるのは大変であろうと言うことだった。しかし、私達が全員一緒にと言ったことには本当に驚いていた。このK三兄弟は本来、夏休みの間だけの保護のはずであったのに、とうとう年も明けた。延長である。しかも更に長くなるとのことである。相談所の人はその度に恐縮して下さるが、うちが何でも快く受けることに感動してくれている。

 N.Mちゃんは夏休み明けに病院に入院(持病の手術の為)をして、そのまま違う里親さんの所に行くことになった。K家は相変わらず我が教会家族として暮らしていた。

 僕は会長になっていた。教会は相も変わらずバタバタしていた。前会長になった我が両親は

「辞任は引退に非ず」

なんて言っちゃって、ここぞとばかりにおたすけに没頭すべく、頼りない私達を残して夫婦でアフリカへ行ってしまった。そんな中、生後三ヶ月の赤ちゃんを四日間預かったり、僕がアフリカおたすけ隊の引率で行ってしまったりと妻に随分負担がかかったことなどから爆発の日を迎えた。

 妻は長男拓人と同じ年、またそれよりも小さな子を預かると、どうしても信者さんなどに比べられて、自分もどう扱いをして良いのか分からなくて、もう預かりたくないと言い出した。

 その背景には、とある知り合いの会長さんに

「里親えらいなぁ!大変だろう。わしには出来ない。里親はもし、我が子と里子が川に溺れて死にそうになっていたら里子を助けなければいけないんだよ!だからそう考えるとわしにはとても無理だ。それをやるんだから偉い。」

なんて、特に悪気は無く言われたらしい。しかし、妻は

「うちは拓人や理人を見捨てて、里子を救うことが出来ない。多分我が子の方を助けてしまう。そう考えると無理みたい。」

と、自分自身を追いつめてしまっているようだった。そして、

「会長さんは、そう言う時どうする?」

と聞かれ、

「んー、俺なら二人とも助ける」

と言うと

「そうじゃなくて、どちらかしか助けられないのよ!」

とちょっと苛立ち気味で言う。

「じゃあ、その時考える。その状況の時にしっかり考えるよ。」

呆れていました。なんてノー天気なこと言うんだろうって感じでした。

「智ちゃんがその会長さんにそう言われたのは分かるけど、俺の考え方は違うよ。里子を優先で助けろと教祖が言ったか?どうだろう?確かに教祖は生い立ちの道中で黒疱瘡の預かり子のおたすけに自分の子供の命を捧げ、願満ちたその時はご自分の命までも捧げると教祖伝に書いてある。でもそのお願いをした神様は神社の神様でしょう。天理教の神様じゃなかったみたいだよ。その時は生い立ちで、ひながたじゃないんじゃないかな??」

(この辺の解釈は色々でしょうから、それは違うと言う方ご容赦下さい…。)

「僕は里親を通して、こう考えているんだ。」

と、以前原稿依頼があった里親についての原稿を見せる為、パソコンを開く。妻を僕のデスクに座らせ落ち着いて読んでもらう。

?原稿?

 毎日毎日その日その日が勉強であるが、こうして子供を相談所が連れて来てくれて一緒に生活することがお助けになるのであれば、天理教を信仰する者としてこんなありがたいことはない。

 教祖も乳飲み子を預かりお育て下さったと教祖伝に書いてある。しかもその子が黒疱瘡にかかり命が危ないと言う時にわが子の命を捧げ、自分の命まで捧げてその子を助けた。とある。さて、自分に教祖のようにできるであろうか?わが子よりも里子をとそう考えながら日々生活できるだろうか?よく、周囲の方にそのことは言われる。また、やらない方の理由は自分にはそこまでできないと言う方もいる。そう言う意見も良く分かる。実際に毎日生活していて自分は本当に教祖のようにできているのであろうか?否、自分にはできていない。できていないどころか、里子を預かることで余計にわが子の可愛さに気付いてしまった。自分の子と言うのは本当に可愛いものである。僕は信仰者で本当にこう考えているのはいけないことなのかも知れない。でも我が子が可愛いと思ってしまうようである。この葛藤はいつまでも続くのではないだろうか?でもその辺は深く考えないことにした。そこが難しいからやらないと言う方に比べれば、こうして葛藤しながらもおたすけにつながるように行動していることに教祖は喜んでくれるのではないか?子供を預かりながら生活しているうちに私達夫婦が随分親神様、教祖に仕込まれた。これがありがたい。何もしないでいるより随分成人させて頂けたと言うことである。そう考えていた矢先、別席のお話による八つのほこりの説き分けが手に入った。それを教会で毎日拝読させて頂くうちに教祖が私に、この葛藤の答えを下さった。

かわい

我が身さえよくば、他人はどうでもよい、我が子の愛にひかされ、食べ物、着物の好き嫌いを言わし、うそを言うことまで教え、又、今日は雨降る、寒いと言うて学校を休まし、男の子も女の子も仕事の仕込む時分に気侭に遊ばしておくのはよろしくありません。我が子の愛に引かされて、悪しき行為も意見せず、我が身を思うて人を悪しく申しまするは、ほこりであります。我が身我が子が可愛ければ、人の身、人の子も可愛がらねばなりません。

とあったのだった。何と別席によると人の子を我が子よりも可愛がれとは一言も仰ってない。我が身我が子が可愛ければ、人の身、人の子も可愛がらねばならないと言うのであれば、そんなに難しいことではない感じがする。しかもこの里親は もってこいである。こう気付かせて頂いた時、

「あー。教祖が私の心に話し掛けてくれたんだ。」

と心がすっとした。    

中略

 さて、私達夫婦が日々どれだけのことができているか分からない。子供を叱っている時、これが正解なのか?失敗なのか?怒ることは良くないのだろうか?心で色々考える。でも最近、結果を気にするのでなく、その場その場で精一杯心から彼等にぶつかっていこうと思っている。そして失敗であれば次は失敗しないように努力するしかない。子育ての場合失敗はいけないことなのかもしれないが、すでに親が失敗して私達が預かることが多い訳で、その親達に比べると私達には絶対に間違いのない教祖の教え、天理の教えがあるのだから少なからず良いと思う。最初から完璧にできるはずがない。プロにもアマチュアの時代がある。そう自分を勇気付けながら過ごしている。もしかすると一生、自分はおたすけのアマチュアかも知れない。しかし、命ある限り「命懸真剣」におたすけに励み、いつか教祖からプロのおたすけ人としてスカウトされる日を待ち望みたいと思う。

?原稿終了?

妻が読み終えるのを見計らって、改めて妻と話し合った。

「結局、その会長さんはやってないんだよ。やってない人の言うこと聞いていてもしょうがないだろう。先のこと考えて自分には無理だ、出来ない。だからやらない。って、教祖は本当にそれを喜ぶの?今の天理教の教勢が伸びない最大の原因はそこなんじゃないかな?頭が良いから先のこと考えて、出来そうにない、だからやらない。結局何も実動しない人が多いから伸びないんだよ。それじゃいけないと思うよ。高慢になっちゃ駄目だよ。実際に、おたすけのあがっている教会や先生のところは、おたすけであれば教祖にもたれきって無我夢中で飛び込んで行っているよね。親神様、教祖にもたれると言うことが大切なんだと思うよ。」

 そして、ちょうど第三回、第四回とアフリカおたすけ隊に視覚障ガイでありながら参加された、猛烈な布教意欲溢れるおたすけ人、大矢先生とお付き合いさせて頂くことで感じていたことを話し始めた。

 立教一六七年一月二十四日、大矢先生が僕と一緒に新幹線で埼玉に来てくれた。その時、新大阪駅での出来事、

「えーちゃん、この下自動車走ってない?」

確かに新幹線のプラットホームが高速道路の上にあり、下は高速道路をびゅんびゅん自動車が走っていた。

「あっ走っています。大きな道路の上にこのプラットホームはあるんですね!でも大矢さん何で分かるの?見えるの?」

率直に聞きました。

「いやー。見えんよ。でも自動車の音が聞こえるから。」

「へぇー。聞こえるんですか?全然気にならなかった。耳をよく澄ませば確かにシャーと言う自動車の音が聞こえます。でも、アナウンスやら人声なんかが気になって普通聞こえないですよ!大矢さんは目が悪くなる前から耳が良かったんですか?」

「いや、そんなこと無い普通だったよ。でも見えんからどうしても神経がこっちにいくんやろな!情報が入るのがどうしても耳になるからな。」

とのことだった。こんなやり取りがあった。それだけなのだが、ここで考えたことは、よく色々な先生から『かしもの・かりもの』のお話を聞かせて頂く。

「健康であること、今の自分のありのままが御守護の姿だから、生かして下さっていること、そこに感謝させて頂き、ご恩返しのひのきしんを…云々。」

 さてさて、この時僕が感じたのは、今の状態以上のものを常に親神様は私にお与え下さっているのでは?今の状態で受けているのはこちらなのでは?分かりやすく言うと、例えば潜在能力とでも言うか、大矢先生の場合は目が悪くなって、その分耳が良くなった。僕の耳も鍛えれば目が悪くならなくたって大矢さんのようによく聞こえるようになるはずである。野球のイチローや松井、サッカーの中田や中村。数々のオリンピック選手達。スポーツで言うと分かりやすいが、彼らはその潜在能力を発揮する為に日夜努力し、そして、素晴らしいアスリートになっている。あそこまで鍛えるのは大変だが、普通の人でも努力すればそこそこ身体能力は上がる。

 結局、神様から目に見えない素晴らしい働きを頂いているが、目が見えるだけに見えない人のように耳をそこまで使い切っていないだけのような気がした。潜在的な未だ使い切っていない能力を出し切っていない。だからお与え頂く事柄をこちらが自分は出来ない。無理だというのは本当に申し訳ないことなんじゃないかと思った。

 本当に無理であることでも受けて出来なかった時には謙虚に謝る。その心の低さが僕達には大切なのでは無いだろうか。出来ないことで人に迷惑をおかけすることはあるいは良くないかもしれない。しかし、やる前から出来ないと言う人間思案。結果出来なくて謝ることをためらう人間思案。この人間思案は両方とも高慢のような気がした。

 こちらは受けて精一杯やらせてもらう。無理と判断するのは親神様と教祖。こちらが無理であれば必ず無理でないようにご守護下さる。

 その証拠に妻が一杯一杯で今こうして、できるできないと話しているが、二月十日から来ている子供達は小六と中一である。僕が二月七日にアフリカから帰国した時に妻から報告があったのは、

「児童相談所から、十四日頃から二歳と四歳の兄弟を預かって下さいと言われてます。」

と言うことであった。その子達はどうなったのであろうか?結果的には来なくなった。二歳は拓人と一緒である。拓人と一緒の年の子は受けたくないって言うのがこの爆発の始まりであった。それなら、今の状況は、

「本当は小さな子が来るところを神様が智ちゃんの状態をしっかり把握してくれて、小さな子はかわいそうだからと言って大きい子供達を預かるようにしてくれたんじゃないの?そこに感謝こそあれ、不足するとこじゃないよ。しかもその子達、三日前なんか、僕達夫婦が寝坊して朝づとめの十分前に起きた時、朝六時に起きて神殿掃除、献饌してくれて凄く助かったじゃないか。それからも毎日続けてくれているよ。こっちからやれなんて一言も言ってないのに、無理だと思うことも御用であれば受けて良いんじゃないの?本当に無理な時は神様がこうしてちゃんと無理でないようにしてくれるみたいね。無理かどうかを決めるのは神様なんだと思うよ。がんばろうよ。」

と話し合った。今も勇んで子供達と戯れている。

 一番大変な思いをしている妻だから、一番がんばっている妻だから、一番真剣に考えている妻だから、心から不足している訳ではない。夫婦だからたまに愚痴ったと言うことなのだ。それを受け止めてあげられない僕の心のなんて小さいこと、反省である。

 しかし、こんな喧嘩ができるのもおたすけしているからであって、これがおたすけしてなかったら、

「こんな貧乏生活嫌だ。」

「教会なんてつまらない。」

「親と同居なんて。」

「今日は誰々にこう言われた。あー言われた。」

自分のことで不足話になるのではないだろうか?そう考えると、とにもかくにも人様のことを考えて、おたすけの上でぶつかり合って、お互いが意見を述べる。こんな素晴らしい夫婦、おたすけしているからではないだろうか?なんて自画自賛。高慢な心が出てきた。一番高慢チキだったのは僕のようである。

 さて、話しが変わって、里子達との実生活の話しもさせてもらわねばならないでしょう。子供が多いと周囲の人から大変だと言われるが案外そうでない。もっとたくさんの子供達と生活している教会はざらにある。  

 しかも、子供が多いと逆に、大きい子が小さい子の面倒を見て、前にも述べたように教会内のひのきしんもしてくれるし、大いにたすかるのである。うちの一歳半の次男坊など、今が一番目の離せない時だが、里子のお兄ちゃん達がいることで、面倒を見てくれるのでかえってこちらの仕事が捗る。相談所から小学生以上の子の依頼があった時など、こちらが両手をあげて喜ぶ程である。選ぶ訳ではないが、やはり先日の妻との練り合い、妻の言い分も良く分かるので、内心小さな子は今の時期はちょっと大変だなぁと思ってると、小さい子の依頼がない。相談所の方でも気を遣ってくれているのかもしれないが、相談所は切羽詰まっているときが多い。小さい子の依頼がいつ入ってもおかしくない中でその依頼が来ないと言うのはありがたいことである。そこは甘えさせて頂こう。そのことも含めて親神様、教祖の大いなる親心だと思う。

 

 せっかくなのでそのお兄ちゃん達の話しをしよう。A.Aちゃん(十七歳)、A.S君(十三歳中一)、A.T君(十二歳小六)の三人が来たのは、ちょうど夫婦で喧嘩したちょっと前の二月十日。父親は今、現場が千葉でずっと帰って来ない。仕送りだけしてくれているようである。母親は数年前に乳癌で出直している。父の仕送りが滞り、アパートの家賃や光熱費が払えずに切羽詰まってお姉ちゃんが相談所に電話したようだ。父親の里は北海道で以前は北海道で暮らしていたこともある。そんな時は親戚に預けられたりしたこともあったようだが、埼玉では頼る親戚も無いのだ。五人兄弟で上に二十七歳と十八歳の兄がいるらしい。しかし、独立して東京で働いているので一緒に暮らしていない。それでも十七歳のお姉ちゃんがいるならば、大丈夫なんじゃないのかなと思ってしまうのだが、会ってみると頼りない。僕らの子供の頃の方がよっぽど放置されていたように思う。両親はおたすけ、おたすけで家にいたことがほとんどない。そんな中、兄弟で喧嘩しながら育ったものだ。しかし、教会や親戚が近くにあったので、さほど心配が無かったと言えばそうかもしれない。また、お道のお蔭でお育ていただいたんだと言うことも改めて実感する。

 さて、話しが横道にそれたが、3人が教会に来た日、お姉ちゃんのA.Aちゃんの携帯に十八才のお兄ちゃんから電話が入り、兄弟達が教会にいることを説明したらしい。A.Aちゃんは僕のところに携帯を持って来て、

「会長さん。お兄ちゃんです。」

と、電話を渡された。電話を出るなり、

「うちの妹と弟達がお世話になってすいません。僕が何もできないで」

十八才なのにずいぶんしっかりした挨拶が出来る子だなぁと感心し、

「いやいや、君の妹弟はラッキーなんだよ。色々な施設や里親家庭がある中で、うち(天理教の教会)に来たと言うことは神様がお引き寄せ下さったんだ。たすかるよ!安心して、仕事の休みの時なんかは兄弟に会いに遊びにおいで。」

「ハイ、分かりました。ありがとうございます。本当にお世話になります。」

父親は相談所も連絡が取れないらしい。父親からこの言葉を聞きたかった。しかし、そんな父親ならこんなに問題にはなっていないだろう。

 お姉ちゃんのA.Aちゃんは切羽詰まって相談所に連絡し、三人でうちに来た訳だが、如何せんアパートが近い。歩いて十五分ぐらいで行ける。当然、弟達さえ里親である我々に預けてしまえば、自分はアパートの方が悠々自適。そんなとこから教会生活は三日と持たず一人帰ってしまった。近所へ出かけると言って、そのままトンズラしてしまった。夕方になっても帰って来ないので、児童相談所に連絡して不安な一夜を過ごした。翌日、自宅アパートに帰っていた。そして、弟達は教会でお世話になるが、自分はアパートにいたいと言うことであった。弟二人は教会で良いと言う。彼らにとって、教会生活はそれほど悪くないらしい。

 この兄弟は四月に前出のお兄ちゃんがアパートに帰って来て、自分がアルバイトしながら面倒見ると言って引き取った。学年も中二と中一になり、お兄ちゃんがしばらくがんばっていた、この十八歳のA.S君とは、次のようなことで弟達よりも仲良くなった。それは、小五のK.Sが

「会長さんマラソンしたい。」

「おーいいねぇ。大分太り過ぎだし、今年の夏は学修もあるし、走るかー。」

と言うことで、四月の、とある日、朝五時頃からマラソンを始めた。三日走って、三日休む。みたいな・・・。せっかくだからとそのA家のアパートに行き早朝からドアをバンバン叩いて起こす。中学生の二人は全く起きる気配が無いが、十八歳のお兄ちゃんがバイト等から帰って来ていて、これから寝るところを僕達に起こされると言った感じで、色々話しているうちにサッカーがやりたいと言うことになった。

「よーし、やろうじゃないか!」

うちのチームに即入団だった。話しだけかと思っていたのだが、翌日、ドアをバンバンやるとお兄ちゃんが又も出て来て、

「一緒に走る?」

と聞いたら、なんと靴に履き替え、ボールまで持って、行く気満々。ありがたいことだ。その翌日は僕の寝坊で走らず。翌々日は寝坊気味だったが6時頃から走ると言うより散歩に出かけた。

(何故なら我が子が起きてしまい、一緒にいくと言う。三歳児と二歳児がいるとさすがに走れない。)

お姉ちゃんK.Sに

「おまえ先に走って行って、起こして来い」

というと、颯爽と走って行ったが、すぐに引き返して来た。

「どうしたの?何してんの?」

文句を言うと、

「違うの、学校の校庭で二人がサッカーやっているの!」

教会のすぐ近くのいつも彼らの家に行く時に脇を通る学校で十八歳のA.Sと弟の二人がボールを蹴っているではありませんか!嬉しくて嬉しくて、抱きついた。そして一緒にボールを蹴って、朝づとめをつとめて、朝ご飯を食べて家まで送って行った。その後もこの朝練は続いた。

 

 しかし、やはり十八才。自分のバイトも深夜だったり早朝だったり、深夜のアルバイトを終えて朝帰宅すると弟達が学校に行かずに家で寝ている。これではいけないと学校のさわやか相談室の先生に山崎さんのところで又お世話になりたいんだけどと相談し、児童相談所からその旨連絡が入った。六月の始めだった。そして、彼らが教会に来てそんなわざわざ相談所にお手数かけなくても直接言ったら良いんだぞと頭を小突きながら

「ようこそお帰り」

と二人を抱きしめた。

 

 そんな彼らがおぢばデビューすることになった。夏の子供おぢばがえりで少年ひのきしん隊に参加することになった。埼玉教区は後半隊なので八月三十日に教務支庁に集合。二日前よりA.S君が発熱。ずーっと小さい子から順番に来ていたのだが、ここに来て、一番上のA.Sが罹るなんて…。少年ひのきしん隊の参加危うし!

中一の弟A.T君も一人じゃ寂しいので、気が気ではない。僕も二日前はすぐ下がるだろうと気が緩んでいて、おさづけはしたが、ただ取り次いだという感じだった。しかし、前日になっても三十九度から下がらない。

「こりゃーヤバいかも」

なんて、夜にはおさづけの前にしっかりと『かしもの・かりもの』の一言話しをさせて貰ってから取次がせてもらったり、バファリン買って来たり、弟は寝る前に神殿でお願いづとめまでする始末。その甲斐あって当日の朝には三十七度まで下がったが、慣れない人達とバスで長旅するには辛いだろうと、一緒に行くのは断念。今日一日寝て、しっかり熱を下げてから遅れて行くことにした。

 寂しげなA.T君を教務支庁まで送り、帰って来て朝食を食べてお兄ちゃんの熱を測ると、三十六度六分。

「おー!やっと下がったじゃないか。そんじゃ、今夜の夜行バスで天理行くか!」

と、バスの予約の電話をすると、何と、夏休みの金曜日。天理行きも京都行きも全て満タンで席が取れない。困った。どうするか?確か昼の便があったなぁー。調べてみるか!電話すると、さっきと同じ女の人が出た。

「度々すいません。昼の便ならどうですか?」

「昼ならまだ空きがありますけど、京都行きは十二時十分発ですから、今からですとお急ぎ下さい。」

時計を見ると十一時を回っている。東京まで一時間半。

「無理か。間に合うか?どうするか?そうだ大阪行きならどうだろう?」

見ると毎日五便ぐらい出ている。今からなら一時の便と二時の便に十分間に合う。お兄ちゃんには大阪から天理までの電車の乗り方を紙に書いて教え、車で駅に送り、無事天理向け出発した。

 午後一時の便に乗れば夜の九時十二分大阪着。十一時頃には天理に着く予定である。その旨、埼玉教区の少年会の団長さんに電話する。ホッと一安心。後は無事着けば良いが、大丈夫だろうか?天理には今年の春に三回だけ行ったことがある。もちろん、教会のバスで行った訳で、関西の電車は生まれて初めて。JRだけでなく、近鉄に乗り換えなければならない。送り出した安心感が40%。無事着くか不安が60%の何とも言えない心境だった。

 彼からの電話を待っていたが、十時頃にもうすぐ着くなぁー。なんて考えながらついついウトウト。携帯が夜中の十二時に鳴った。

「あっ、つい寝ちゃった。」

見ると、お兄ちゃんの班のカウンセラーさんからだ。

「着いたかな?」

なんて寝ぼけ眼で携帯をとると、

「すいません。天理駅で待っているんですが、まだ来ません。そちらに連絡ありますか?」

だって…。

「いや、まだ連絡ない。そりゃ困ったねー。心配だなぁ。カウンセラーさんすいません。連絡があると思うので、連絡が入ったら電話します。ご迷惑かけます。」

さぁ困った。大変だ。時計は十二時過ぎている。

「天理はこんな時間まで電車が動いているのだろうか?いや、田舎だからもう終電終わっているんじゃないか?じゃあ、お兄ちゃんはどうしたんだろう?どっかで立ち往生しているのかな?それとも、誰かにさらわれたんじゃ?色々嫌なことを考えてしまう。こうしてはおれない。どうしよう?取りあえず、お願いづとめだ!!」

と、神殿に駆け込み、神前に額ずき必死でおつとめをした。

「親神様。困った時の神頼みのようで申し訳ありませんが、どこかで野宿するようになったとしても、立ち往生しているとしても、連絡だけは取れるように、電話をかけてくるようにお願いします。最悪のことだけは避けて下さい。」

おつとめが終わり、タウンページを広げながら、我が机につき、警察かな?その前に立ち寄るはずの駅に電話してみよう。どこ調べたら良いかな?なんて考えながら受話器を取ろうとしたその瞬間、電話の方がけたたましく僕を呼んだ。夜中の静寂した中なので慌てて受話器を取り、

「はいー。渕和です。」

いつもなら

「こんばんは!陽気ぐらしの渕和分教会です。」

と電話に出るのだが、さすがにこの時は慌てていたのでこんな出方だった。

「A.Sですけど、今天理駅に着いたんだけど。」

こっちの心配を他所に、いつもと変わらぬ淡々とした彼の声。この一言でこっちもホッと一安心。

「おー。A.S!着いたか。心配したよー。よかった。よかった。じゃあ、カウンセラーさんに電話して迎えに来てもらいなさい。」

「分かりましたー。」

「良かったー。」

胸を撫で下ろす。はぁー、と我が椅子に深々と身体を預ける。次の連絡が入るのをしばらく待つ。

「神さんは凄いなぁー。お願いづとめしてすぐにこういう風に働いてくれるなんて。」

そんな感激にしばしば浸っていた。十分程して、どうなったか連絡がないのでカウンセラーさんに、電話をかけると留守番電話になっている。

「あっ、こりゃA.Sも連絡つかないで困っているな。」

何回かかける。すると向こうからかかって来た。

「すいません。今神殿でお願いづとめしていました。」

「あー、そうでしたか。ありがとう。こちらでも今したところなんだ。A.Sが駅に着いたって電話が入ったので申し訳ないけど迎えに行って下さいますか?」

「分かりました!」

若いカウンセラーさんなのに、本当にありがたかった。おぢばと教会で同時にお願いづとめをしていたのだ。先程にも増して、つくづく、神様のお働きに感激した夜だった。後日、遅れた理由を聞くと台風の影響でバスが走行できないと判断し、東名高速富士川SAで一時間停車していたそうだ。彼自身が一番不安であったろうし、そんな中をくぐり抜けた経験が彼をひとまわり大きく成長させたようだ。

 

 八月二十五日には中二のA.S君、中一のA.T君、そして、小五になったK.Sちゃんの三人が青春十八切符で浦和から天理迄冒険することにした。前会長さんが一冊の時刻表を彼らにプレゼントしてくれた。全く見方が分からない。以前に教えてもらっていたはずであった。僕も忙しさにかまけて「お前等大丈夫か?時刻表調べてあるんか?」

と時々聞くだけで、

「大丈夫だよ!」

と、変に自信に満ちあふれた三人に安心していた。しかし、愈々出発を明日の早朝に控えた前日の夜に、電車のプランを聞いてみると全く分かっていない。前会長さんもさすがに心配になり夜遅く迄時刻表と睨み合って彼らに電車の乗り継ぎ方や時刻表の調べ方を教えていた。数時間して僕も様子を見に行くと、浦和から京浜東北線一本で行ける東京にもまだ辿り着いていなかった。前会長さんも僕の登場に自分は寝るとそそくさと部屋に帰られた。お兄ちゃん達もここに来て、事の重大さに気がついたようだ。以前の変な自信はとうに見る影もなかった。特に一番上のA.S君はその表情に緊張の色が見られる。と言うのは、結局、時刻表で電車を調べられるのは彼しかいないからだ。朝、五時僕達は恒例の団参でマイクロで出発であるが、今回は少しコースを変えて駅に彼ら三人を置き去りにした。

「がんばれよ!先行ってるよ!天理で待ってるぞー!」

そんな彼らも特に何事もなく、夕方六時前には天理駅に到着した。詰所では皆から

「どうだった?大丈夫だった?」

質問攻めであった。

「別に問題はなかったんだけど、A.S君が豊橋ぐらいで突然吐いた。」

弟はさも文句ありげに口を尖らせて訴えていた。

「なんで?大丈夫だったの?具合悪いの?」
「別に、何だか分からないけど突然吐いちゃった。」

申し訳なさそうにそう弁解するA.S君であった。本人は感じていないが、恐らく、二人を連れての初めての旅、その責任感から来る緊張で吐いたのではないだろうか?そう思うと、お兄ちゃんは本当にがんばった。そして、一番成長した。この事が大きく自信に繋がったのか二学期を迎え、教会に来てから不登校は克服していたものの、中々教室に馴染めずに会議室やさわやか相談室でお世話になっていたのに、今ではずっと教室にいることが出来るようになった。が、弟の方は今でもまだ教室に馴染めないでさわやか相談室に通っている。

 

 この子達の家はとても近くにある。こんな身近なところにおたすけ先があるのに、普段さぼっている証拠だと思い知らされる。

 我が教会は海外布教をしているが、色々な方々に海外なんかよりも身近なところからしっかりにをいがけ、おたすけさせてもらうことが大事だと言われてきた。していない訳ではなかった。むしろ、海外活動を通して国内では非常に忙しい程、走り回っていた。しかし、イメージでものを言われる方が多く、近所のにをいがけはしていない教会として、悪いレッテルを貼られていたように思う。そんな中でこの里親活動は非常にありがたい。行政の方から困っている家庭を紹介してくれるようなものなのだから。しかも、結構近所が多い。

 ピンポーンとインターホンを押してにをいがけに歩いたところで、このような込み入った家庭の状況を話してくれる家庭はほとんどない。伏せ込みという面では断られながら歩かせて頂くことは重要だが、今、実際に二進も三進もいかない。虐待が行われている家庭。子供を殺しかけている親。親を殺しかけている子供。一般社会について行けない不登校児。そんな子供達も接してみると非常に素直で良い子達が多い。「むかつく」という言葉一つで済まそうとしているが、全てに「むかつく」のでなく、何をして良いか分からない自分自身に「むかつく」状態の子供が多い。親だから、思春期だから、甘えているのであろう。その子供の心理をさばききれない親も多い。今まで色々な子供と接してきたが、結局、その子が悪いと言うことより、親に問題がある。夫婦の心一つだと思う。教祖の教えはすごい。そのことを明らかに仰っている。また、自分がこのお道を信仰しているからそれが分かる。里親活動のもどかしいところは、その理合がはっきり分かっていながら、預かる子供としか接することができないこと。中間に児童相談所が必ず入っていることであるが、僕は逆に、児童相談所の担当の人に対して、はっきりとそのことを言うことにしている。「子供達は本当に素直です。やっぱり、そうなるのは親に問題がありますね。親も一緒にうちに来て構いませんよ。その方が色々良いんじゃないですか?」

こんなことを言う里親は天理教くらいだろう。一般世間では考えられないことのようだ。唖然としている。他にそんなケースも無いのだろう。言葉を濁し、返事に困っている担当の方がほとんどだが、その目の奥には

「この会長さんはなんてこと言うんだろう」

という雰囲気が出てる。もしかしたら、自分で勝手にそう解釈していて、本当は

「この人達はわざわざ苦労するようなこと言って、本当に馬鹿だなぁ」

と思っているのかもしれない。慣れて来た担当の人は、そのことをそのまま親に伝えている人もいるようだ。しかし、そんな親であればある程、子供がお世話になっているお礼の一つすら言いに来られない。まぁ、それが出来りゃ子供を預けるような事態に陥る訳がないのだろうが…。こちらは別にお礼を言ってもらいたい訳ではない。ご恩報じをさせていただいていることだから構わないが、その親には礼儀をわきまえるべきであるとの仕込みはする。

 

 最近は児童相談所の担当される方がうちに子供を連れてくる時、その両親や子供達にこう言って連れて来る。

「今度、お世話になる所は天理教のお教会で、とっても良い会長さんとご家族と大勢の子供がいるんだよ。ここではね、朝早くからきちっと起きて、神殿のお掃除やおつとめをして、しっかりご飯を食べて、規則正しい生活が出来るようになるんだよ。挨拶もしっかり教えてもらえるし、色々天理教の勉強もする。本当に良いところだからとっても勉強になると思うよ!会長さんの言うことをよく聞いて、しっかりした生活習慣が身に付くと良いね!」

こっちから一つも頼まないのに、担当者の方が親御さんにもしっかりにをいがけしてくれている。ありがたいことである。

 

 教祖にもたれていればこそ、教祖が後押ししてくれるような結果に成ってくる。これからも教祖にもたれ、逸話編八六「大きなたすけ」のように、教祖に

「善い事をしなはったなぁ」

と言ってもらえるように夫婦でおたすけの上で喧嘩しながらつとめさせて頂きたいと思う。

      平成十六年九月 

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