天理教渕和分教会~運命切り替えのたすけ道場~
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フィリピン出動! 第1回 第2回

立教169年7月19日ASKME(フィリピンで活動しているストリートチルドレンを育てるNGO)の青木氏が訪ねてこられた。 子供たちのための衣類が必要との依頼に応えて、7月24日ドミニカ共和国向けでコンテナ詰みを予定していたが、受け入れは万全との事で急遽フィリピンに送る事を決定。 農場経営で食料確保との事、EM楽農を推薦する。 息子さんが身上との事で渕和会長がお助けに行く事になる。その場でチケットの手配、7月28日(成田発〜8月1日(成田着)で決定、榎本和人さんもいく事になる。

第1回フィリピンおたすけ隊
  
スライドショーはこちら QuickTimeムービーサイズ12.6MB 640×480 再生時間03'51 です

報告 山崎栄慈

 7月のAAA定例ボランティアに遙々フィリピンよりASKME(アスクミー)の青木氏が訪れて来た。現地でストリートチルドレンを育てているとの事。また、現在70数名の子供たちを預かっているとの事。どこからの支援も受けずに個人がやっているので、子供たちも段々育ってきて、食費だけでもバカにならず、今、次なる段階に来ているとの事。そんな中でAAAに相談に来て下さった訳である。
 私達が出来る支援をさせて頂く事になった。まずは支援物資をお届けするとの約束を交わし、また、EM活用の楽農を提案。青木氏の目に光明の輝きが、、、。
 話が進む中に、氏の長男が2週間ほど前に医者から末期がんで死の宣告を受けているとの話題になる。そこで、私は今までのボランティアの話題から急遽、天理教の会長である旨、自分の身分を伝え、医者の手余りならば、どうか私にお助けさせて頂きたいと申し出ると、氏は快く承知。それどころか、思わぬ申し出に顔が高潮した。我が息子の為にわざわざ来て下さり、おたすけというものをしてくれるなんて、申し訳ないぐらいだ。と言われておりました。
 その場ですぐに飛行機のチケットを手配。4日後に出発の氏のフライトには間に合わず、9日後の7月28日の便で
渡航することを約束。フィリピンと言う地はこちらは全く分からないので、お手数をかけるが、諸々の受け入れをお願いし、その日は氏と別れた。

 そんな経緯で、何も分からないフィリピンに出かけた。話の数日後、津気屋の社長である、榎本和人氏が同行してくれることを申し出てくれた。初めての場所に一人っきりだったので、非常に心細さはあったが、おやさまのお伴であることだけを頼りとしていた矢先のことだったので、とても心強く、嬉しい申し出であった。

 いざ、フィリピンに着くと真夜中にもかかわらず、空港は途上国らしく簡素で粗末な作りながら、人が多い。手続きを済まし、雑踏を抜け、約束の場所を目指す。青木氏が待っていてくれた。ほっと一安心。正味3日間の滞在。ケン君にはいつ会えるのか聞くと最終日とのこと。
 先ずはそこから始めたかったのだが、受入れの都合もあるようなので、成すがままに任せてみた。天理教も分からない人が受け入れているわけだからしょうがないことである。

 日程初日、ASKMEを訪問。子供の多さにビックリ。子供の数と建物の大きさの足りなさにもビックリ。又これだけの活動を所長であるフィリピン人のお医者さんが夫婦で私財を投げ打ってやっていることに更にビックリ。その方に感動して青木氏もここのスタッフになったとの事。
 この所長さんのお宅の軒下で週に2回、足つぼマッサージを老人に施している先生がこの日たまたま居た。
なので二人で思わぬ足つぼマッサージを堪能。
 その後、これからEMでやっていこうと思っている2.5haの農場を視察し、その日は、私達の為でなく、たまたまASKMEの子供達が一年に一回のダンスコンサートの日。この活動で多少の収益を得ているとの事。夕方6時からコンサートが始まった。
 子供達の熱演に感動。途中、戦争の時に日本軍が攻めて来て、虐殺、虐待、レイプなどのシーンも出てくる。日本人として居たたまれない気もしたが、そのダンスの意味は、過去色々あったが、自分達はフィリピン人としての誇りを取り戻そうとの事。初っ端に強烈な、しかし本当に意味のあるダンスコンサートを拝見させて頂き、この施設の子供達が非常に身近になった。
 この晩は所長さん宅に泊めて貰う。11時頃の帰宅であったが、その後所長さん夫婦と天理教の話で盛り上がる。
片言なので伝わったかどうかは確かではない、、、。

 翌日は朝から炊き出し。施設の子も近所の子も、他の孤児達も食事目当てに集まって来る。急遽、ASKMEの地域の市長も参加。お昼の炊き出しを共にする。その際、市長の農場もEMでやってもらいたいと要請を受ける。早速、市長の農場を視察。SP付でお偉いさんは物々しい。

 夕方は所長さんがこの地域のビショップ(キリスト教の偉い人)と会って貰いたいと言うのでその準備。が、色々連絡が入る中に、その会見の時に今日のお昼の市長を初め、周辺地域の5,6人の市長と州知事も会うことになるので、フォーマルな格好で行ってもらいたいとの事。私たち二人はその用意も無かったので、AAAのユニフォームで参加することにした。
 会見までの空いた時間に農場のオープニングセレモニーを内々でやりたいという話になったので、もし宜しければ、天理教式でやらせてもらえないだろうか?と申し出ると、是非との事。農場に行き、教服を身に付け、祭文などは間に合わなかったが、親神様、教祖、祖霊様を拝礼させて頂き、よろずよ八首をつとめて、10分ほどの式を勤めた。
 参加者、皆、感動して下さり、特にお話もそうですが、教服姿に感銘し、それこそが最高のフォーマル着であると、次のスケジュールの会見にそれで行くべきだと薦められる。私も当初の通り、成すがままに素直に受けて、そのまま教服で出向くことにした。

 会見と聞いていた場所に着くと、何とまぁ、その宗派の運営する高校の体育館であった。立派な物で、そこにはすでに大勢の方々がたむろしていた。
 物々しいのは、警官はもちろん、軍隊のような人の姿もある。何だろう?と訳の分からぬまま、車を降り、体育館の入り口で受付をすると生花のレイが首にかけられた。皆、僕の教服姿に注目していた。大丈夫だろうか?と不安のまま会場に入るとそこはなんと立派な・・・日本で言えば結婚式の披露宴会場のような形で真ん中の通路の両サイドに10人掛け程の円卓が何十個も設置されていた。
 そのテーブルから椅子まで綺麗にリボンなどで飾り付けられ、それは立派なものである。女性の案内人が付いてくれて席へ誘ってくれるのだが、ASKMEの所長さんや青木氏などは入ってすぐの席に案内され、自分たちも一緒に座ろうとすると案内人の女性がお前は違うと指図し、真ん中の通路をズンズン舞台に向かって歩き出す。途中、付いて来いと何度も振り返り誘ってくれる。とうとう来賓席でテーブルにビショップ予約とかいてある一番前の方に案内された。和さんと二人、どうしたものかと顔を見合わせる。通訳してくれる人も居らず、何も訳分からない状態で式はどんどん進んでいく。ただ様子や近くの人が説明してくれてることを分析すると新しいビショップの就任式である事。
 この宗派はキリスト教でもプロテスタントで、SAGRADA FAMILIAという宗派であること。今回は特に初めて女性のビショップが就任するという事。が、段々分かって来た。色々な催し物(主にダンス)が出てきたが、何と言ってもASKMEの子供達のダンスはずば抜けて上手い。国家も斉唱される。余興も終わり、いよいよビショップたちの入場である。花道を通ってくる。ここで度肝を抜かれる。何とビショップの先頭を歩いているのが、さっきまで一緒だったASKMEの所長で、どうやら10数名のビショップ達の中で一番偉いビショップの立場にあるらしい。しかもビショップの面々が、事前に言っていた、地域の市長、州知事、そして、内閣の農政大臣が居るということも分かって来た。市長だけならまだしも、内閣の一員である大臣が一人居るということで、最初の軍隊の人の居る訳も分かった。そして、ASKMEの所長はそんな中で一番偉い立場にあるわけだ。そして、国の大統領もこの宗派の一人であることらしい。
 ずいぶん偶然とは言え、成って来るのが天の理。素晴らしいことだ。しかし、一番のビックリは、食事の時間になると、みんながビュッフェを取りに行くのだが、私達はそのビショップ達の居る舞台上に案内され、ビショップ達と共に食事を頂くことになった。教服効果は絶大である。
 食事を終え、居づらい舞台上からは早々に立ち去り、会場の隅で息を抜いていた。青木氏達も所長の立場を知らなかったらしく、ビックリと共に、偉い人と知り合ったと目を輝かせている。ゆっくりの食事を終えたビショップ達も徐々に舞台を降りて帰路に向かい始めた。
 そんな中、出口付近に居る私に皆が挨拶をし、名刺交換しと、えらい人気者になっていた。
 市長さんも州知事さんも大臣さんも、一通り皆が挨拶に来てくれて、お別れをした。

 この日は辰子さん宅に泊めて頂いた。この方もまた、大勢ではないが、自分の家にストリートチルドレンを住まわせ、家政婦としての仕込などもして自立させる活動をしている偉大な方である。
 色々、夜中遅くまでお話を聞かせてもらう。ビックリしたのは、子供さん方がお世話になり、常岡一郎先生にお会いしたことがあるとの事。おやさまの先回りの御守護に感謝。また、おぢばではこどもおぢばがえり期間中であるということで、教会で子供をお世話させて頂く大切さを痛感した。とにかくこのご婦人は、昔、天理教に子供を預けたら良くなって帰ってきたと感動しての常岡先生との出会いだったらしい。ありがたいことである。

 さて、なんだか思わぬご守護を頂戴し、あれよあれよと日程が進んでいったが、やっと3日目。いよいよ本題であるケン君に会える日が来た。
 午前中に辰子女史の支援先を訪問し、ささやかな物資贈呈。その周辺のスラムを散策。最下層の住民の現実を見せ付けられる。そんな中、おたすけ人としての真価を問われる出来事が!!
 数十メートル後ろの粗末な住宅の中から、大勢の男性がベットを運び出す。その上には白目を向いた老人が横たわっている。
病院に担ぎ込むらしい。皆雨も降る中、あわてて一生懸命運ぶ。病人に雨がかかる。僕は濡れないように一時置いておける場所が無いか周囲を見渡すが、狭い路地である。そんな場所がある訳が無い。おさづけを!と思う心と裏腹に、あんなに急いでいる人たちをどうやって止めよう?そんな二つ心が葛藤する。思い悩んでいるうちに病人はどんどん遠くへ行ってしまった。
 何と自分は情けない、ダメ布教師であろうか?フィリピンくんだりまで何しにきたんだ!自分が自分を責める。なんでお前はおさづけを取り次がないのか?言葉が通じなくたって絶対に出来ないはずが無い。大馬鹿な自分を、今思い出しても悔やまれる。人生で一生後悔するであろう大失態。おやさま申し訳ありません。

 おたすけと称して最大の汚点を残し、午後いよいよケン君の所に。午前中の失態があるので、意気込み以上に気合が入る。でもその心のうちを出さずに、彼の前に座り、落ち着いて一言一言親神様の御守護、かしものかりものの話。因縁の自覚。丁寧に話しさせて頂いた。彼は透き通る目で真剣に聞き分けてくれた。そして最後におさづけの取次ぎ。
 おさづけが終わってから、今後、おぢばに向かい天理王命の神名を朝夕に21回唱えること。来年は英語の修養科に入ることを約束。お土産のおふでさきとおやさま逸話編渡して家を後にした。何とか助かってもらいたい。

 情けないダメ布教師は、自分の不甲斐なさを省みずに都合の良いことを思っていた。終盤に自分のダメさぶりを再確認させて頂く旅になり、そんな僕でも訪れたことを喜んで下さる方々に、しっかりもっと成人したおたすけ人として次回は会えるよう心に誓いフィリピンを後にした。

 今の自分は親神様に働いて頂けるだけの理造りがぜんぜん出来ていないような気がして、反省の旅となった。次行く日程が決まっている今、しっかりと自分自身おやさまにもたれられるよふぼくになれるよう日々大切に過ごしたいと思っております。ケン君。待っていて下さい。

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第2回フィリピンおたすけ隊
   スライドショーはこちら QuickTimeムービーサイズ18.5MB 640×480 再生時間03'39 です 

 9月1日(成田発)〜6日(成田着)物資贈呈式とおたすけ。参加者(敬称略) 山崎栄慈、山崎純子、中里睦子、山崎城之。

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